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チェコ・テルチ

チェコの小さな町テルチはモラヴィア地方の人口約5,600人を抱える小さな町で、ツァハリアス広場を囲んで多くのルネッサンス時代の建物が軒を並べています。そして、西の外れには16世紀に建てられた、非常に保存状態の良いお城があり、最近は日本からのお客様が、ウィーンからチェスキー・クルムロフ経由、プラハに行く途中で、寄り道をする様になったようです。Movie Maker: telc - Diashow...

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チェコ・ホラショヴィーチェ

チェコのホラショヴィーチェは人口約150人、60軒ほどの家が村の広場を囲む様に建っている小さな村で、13世紀にその歴史が始まります。この村は1848年まで修道院の所有でしたが、その間、オーストリアやドイツからの入植者が農業に従事し、住民のほとんどがドイツ、オーストリア系の人たちで占められていました。第2次世界大戦後、チェコ領地となったため、ドイツ系住民は追放の憂き目に遭い、農地は荒れるがままに放置...

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チェスキー・クルムロフ

ベルリンの壁が開き、旧東欧が開放されて以来、プラハなどには多くの観光客が殺到し、それ以降、さまざまな町がユネスコの世界遺産として登録されてから注目を浴びるようになった町のうちのひとつが、チェスキー・クルムロフです。「チェスキー」というのは、「チェコの」という意味で、元々はオーストリア領だった時代、「Kurmau(湾曲した湿地帯)」という名前に由来しています。その名の通り、モルダウ川が「ひ」の字を延長した...

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プラハのヴィシェフラート(高い城)

フレデリック・スメタナの交響組曲「わが祖国」の第1曲目が「ヴィシェフラート(高い城)」と名づけられた曲です。。プラハの中心地から南に何キロかモルダウ川を遡ると、川を見下ろすような高台があり、ここがそのお城になります。10世紀ごろに作られた城はほとんど残っておらず、17世紀時代の要塞の跡と聖ペーター・パウル教会、そして、スメタナとドヴォルザークが眠るヴィシェフラート墓地があり、音楽ファンの人たちを引...

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プラハのユーゲントスタイル

フランスでは「アール・ヌーボー」と呼ばれていますが、ドイツ語圏では「ユーゲントスタイル」と呼ばれている、西暦1900年前後の美術に対する新しい動きがあり、ウィーンがその中心となるが、プラハもその影響を受けており、何軒か見かけたので掲載します。 はずれもあるかもしれませんが、そこらへんはご容赦ください。Movie Maker: pragjugend - Diashow...

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