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アントワープ(1)

アントワープは人口約25万人のベルギー第2の都市になります。この町を流れるスヘルデ川を通る船に通行料を求めていた巨人アンティゴンが、それに応じない船乗りの手を切り取り、川に投げていたのですが、逆にローマ戦士のブラボーがこの巨人の手を切り取って川に投げた、ハント(手)ヴェルペン(投げる)から、アントワープという名前ができたと言われており、その銅像が市役所前に置かれています。14世紀ごろ、ズウィン川の...

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ブリュッセル

ベルギーの首都ブリュッセルは、「沼(bruc)、家(sella)」と言う語源から来ているそうで、人口約100万人で欧州連合委員会が置かれているなど、欧州の政治の中心となっています。ブリュッセルは、12世紀には交易と交通の中継点として栄え始め、ブラバント公国の中心地として繁栄しました。ベルギーはスペイン領、オーストリア領などといった複雑怪奇な運命をたどりながら、30年戦争後の1648年にドイツから独立してオラン...

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チェコ・テルチ

チェコの小さな町テルチはモラヴィア地方の人口約5,600人を抱える小さな町で、ツァハリアス広場を囲んで多くのルネッサンス時代の建物が軒を並べています。そして、西の外れには16世紀に建てられた、非常に保存状態の良いお城があり、最近は日本からのお客様が、ウィーンからチェスキー・クルムロフ経由、プラハに行く途中で、寄り道をする様になったようです。Movie Maker: telc - Diashow...

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チェコ・ホラショヴィーチェ

チェコのホラショヴィーチェは人口約150人、60軒ほどの家が村の広場を囲む様に建っている小さな村で、13世紀にその歴史が始まります。この村は1848年まで修道院の所有でしたが、その間、オーストリアやドイツからの入植者が農業に従事し、住民のほとんどがドイツ、オーストリア系の人たちで占められていました。第2次世界大戦後、チェコ領地となったため、ドイツ系住民は追放の憂き目に遭い、農地は荒れるがままに放置...

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チェスキー・クルムロフ

ベルリンの壁が開き、旧東欧が開放されて以来、プラハなどには多くの観光客が殺到し、それ以降、さまざまな町がユネスコの世界遺産として登録されてから注目を浴びるようになった町のうちのひとつが、チェスキー・クルムロフです。「チェスキー」というのは、「チェコの」という意味で、元々はオーストリア領だった時代、「Kurmau(湾曲した湿地帯)」という名前に由来しています。その名の通り、モルダウ川が「ひ」の字を延長した...

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プラハのヴィシェフラート(高い城)

フレデリック・スメタナの交響組曲「わが祖国」の第1曲目が「ヴィシェフラート(高い城)」と名づけられた曲です。。プラハの中心地から南に何キロかモルダウ川を遡ると、川を見下ろすような高台があり、ここがそのお城になります。10世紀ごろに作られた城はほとんど残っておらず、17世紀時代の要塞の跡と聖ペーター・パウル教会、そして、スメタナとドヴォルザークが眠るヴィシェフラート墓地があり、音楽ファンの人たちを引...

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プラハのユーゲントスタイル

フランスでは「アール・ヌーボー」と呼ばれていますが、ドイツ語圏では「ユーゲントスタイル」と呼ばれている、西暦1900年前後の美術に対する新しい動きがあり、ウィーンがその中心となるが、プラハもその影響を受けており、何軒か見かけたので掲載します。 はずれもあるかもしれませんが、そこらへんはご容赦ください。Movie Maker: pragjugend - Diashow...

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プラハの夜景

プラハの夜景です。Movie Maker: pragnacht - Diashow...

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プラハ城

プラハの町を見下ろすように聳え立つプラハ城は、長さ570メートル、幅130メートルの、世界最大のお城ということで、ギネスブックにも載っているとのこと。すでに10世紀には、この大きさであったと考えられているが、9世紀に聖母マリア教会が築かれ、12世紀にはロマネスク形式の宮殿、14世紀の黄金時代にはゴシック様式で再建され、城砦としても利用されるに至りました。その後、戦火、あるいは火事で被害を受け、最終...

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プラハ

「百塔の都」あるいは、「黄金の都」とも呼ばれるチェコの首都プラハは、人口約120万人を抱える大都会になります。6世紀ごろにスラブ民族が住み着き、10世紀ごろにはヴィシェフラート城が建てられてから町は発展し、1346年にカール4世が「神聖ローマ帝国」の皇帝に選出されると、この町は急激に発展し始めます。ドイツで最初の大学、モルダウに架かるカレル橋、町の整備などが行われ、その栄華を持って「黄金の都」と評...

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オーストリア・オーベルンドルフ

ザルツブルクを流れているザルツァッハ川を30キロほど下って行くと、オーベルンドルフという人口7600人ほどの小さな町に出る。この町こそ、クリスマスに世界中で歌われる「聖この夜」が生まれた町になります。1818年12月24日の朝、この町の司祭助手をしていたヨーゼフ・モーアが、「今晩の礼拝時に子供たちに歌わせたい」と作詞し、友人の音楽家であるハインツ・グルーバーに作曲を依頼しました。ちょうどこの時、教...

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オーストリア・メルクの修道院

ザルツブルクから350キロほど離れたウィーンに向かって車を走らせてしばらく行くと、左側に大きな建物が見えてくる。これがメルクの修道院になります。貞節、信仰、清貧を信条とするベネディクト派の修道院で、1089年に設立されたと同時に、この町はハプスブルク家がオーストリアを支配する以前、バーベンベルク家の政治的中心地でした。その後、火災などによって修道院は衰退して行くのですが15世紀に力を盛り返し始め、...

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ハルシュタットの岩塩鉱山

ハルシュタットの村の入り口から少し離れた場所に場所に、岩塩鉱山見学のためのケーブルカーが走っています。上の駅から歩いて約10分ほどで18世紀に掘られた坑道を通って岩塩鉱山の中を見学するのですが、中には長い滑り台を使って下に下りたり、地底湖を使ったスクリーンに映した映画を見ます。そして最後はトロッコに乗って坑道の外に出るようになっています。Movie Maker: hallsalzberg - Diashow...

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ザルツカンマーグート・ハルシュタット

ザルツブルクから車で約1時間、ザルツカンマーグートで最も有名な村がハルシュタットです。紀元前6~8世紀ごろ、塩が採集されていたこの村にケルト人が住み、鉄器を使用していたことから、「ハルシュタット文化」という言葉で知られており、1997年に世界遺産に指定されました。人口約800人ほどのハルシュタット湖畔の小さな村は、切り立った崖の下にある狭い土地に作られ、19世紀の半ばまでは、交通手段といえば狭い山...

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ザルツブルク

オーストリアのザルツブルクは人口15万人ほどを抱える町ですが、長い間、ザルツブルクの大司教が支配していた町で、しかも首都のウィーンから300キロ以上離れているため、オーストリア領となったのは、19世紀になってからになります。ザルツブルクの「ザルツ」は塩のことで、この地方で岩塩が採れるため、その塩がザルツァッハ川を下ってヨーロッパ中に運ばれたのですが、その通行税が大司教の財源としていたのです。今でこ...

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ウィーン

音楽の都ウィーン。ハプスブルク家が君臨していた時代、貴族たちが競いながら音楽家のスポンサーとなり、演奏家、作曲家を呼んで演奏会を主催し、そして報酬を払って自分のために作曲を依頼しました。「〇〇家主催のコンサート」、と言うことで演奏会を開催し、スポンサーは、「将来を嘱望されているフランツ・シューベルト君です」、といった感じで紹介し、「じゃあ、こちらはもっと将来性のある誰かを見つけてこよう」、と言う感じ...

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アーヘン

ドイツ最西端で、オランダとベルギーとの国境に接している町がアーヘンです。この町はローマ民族が支配していた時代に温泉が発見され、水を意味する「Aha」から、この町の名前がつけられました。8世紀の終わりごろには、この町の中心に教会が立てられ、カール大帝が戴冠式を行った場所でもあり、その後、フランクフルトに移されるまで、歴代の「ドイツ民族の神聖ローマ帝国」の皇帝の戴冠式がこの教会で執り行われました。世界遺...

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スイス・アッペンツェル

スイスといえば、アイガーのあるグリンデルワルド、マッターホルンのツェルマットなど、有名な山を観光するのが普通なのですが、珍しくアッペンツェルという町にやって来ました。この町に来るのは私も初めてなのですが、この地方に伝わる伝統行事、「ジルヴェスタークラウス」の模様を撮影する写真家グループをお連れしてこの町に宿泊したのですが、メルヘンのように町並みがきれいなので、写真に収めました。そうそう、この地方が...

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スイス・クラインマッターホルン

マッターホルンの駅とは全く反対側から、クラインマッターホルン行きのロープウェイが出ています。普通の団体旅行では、時間などの関係で、こちらの方はほとんど日本人観光客を見かけることがありません。山と言うものは、ちょっとでも風向きが変わると見えたり見えなかったりし、見る角度が違うと、その姿を全く変えてしまうものなんですね。登山鉄道で登ったゴルナーグラートからの様子と、クラインマッターホルン行きのロープウ...

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スイス・ツェルマット

スイスの単独峰で最も美しいと言われる山がマッターホルンです。この山に行くには、ツェルマットまで氷河特急でいらっしゃる方はそのままで、車でいらっしゃる方は、手前のテーシュと言う駅から電車に乗り換えなければいけません。そう。この町は、車を完全にシャットアウトし、町の交通は馬車か電気自動車しかないのです。それほどまでに、この町は環境を大事にしていると言えるでしょう。その理由は、まだ抗生物質がなかった時代...

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グリンデルヴァルト

スイスの名峰アイガーの麓の町がグリンデルワルドです。この町から出ているユングフラウ鉄道は、ヨーロッパ最高の駅にある標高3454メートルのユングフラウヨッホまで登る鉄道で1912年8月に開通されました。クライネシャイデックで乗り換え、トンネルをしばらく行くと、「アイガーグレッチャー(アイガー氷河)駅」と、「アイガーヴァント(アイガーの壁)駅」で5分ずつ停車しながら、ユングフラウ駅に到着です。かなり空...

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ベルン

スイスの首都ベルンの人口は約13万人で、スイスで4番目に大きな町になります。この町はアーレ川が大きく湾曲して半島となっている部分に旧市街ができ、その半島の根元部分に仕掛け時計がある塔が建っており、ここが旧市街の西の外れとなります。この地区が旧市街で、石造りの建物が中央通りを挟んで隙間なく建てられ、アーケードになった商店街として利用されており、この旧市街は世界遺産に指定されました。この町の紋章は熊が...

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シュヴェチンゲン城

ドイツ内外の王侯貴族に倣いハイデルベルクの領主であったカール・テオドール候は、シュヴェチンゲンに夏の離宮を建造させました。こじんまりとしたロココ風のお城ですが、きれいな庭園、桜の並木、アラビア風の離れなどを鑑賞しながらの散歩などはいかがでしょうか?特に、4月になると満開の桜を見に、近郊の人たちがこぞってこのお城の庭園に足を運びます。日本のお花見のように、お弁当を広げてお酒を飲み、カラオケで高歌放吟...

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ベルヒテスガーデン・ケーニッヒ湖

ドイツ人に最も人気のある観光地のひとつとして有名な、ベルヒテスガーデンのケーニッヒ湖は、いわゆる自然保護地帯として保護されており、遊覧船もバッテリーで動く船だけが使用されています。もちろん、日本の観光地のように買い物案内などの放送もなく、音もなくひっそりとした静寂さは何とも言いようもない雰囲気を醸し出してくれます。遊覧船に乗ってザンクト・バートロメー間での30分ほどの船旅の途中、ガイドさんがトラン...

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ヴィース教会(世界遺産)

1738年の6月14日に、シュタインガーデンの修道僧が彫ったというみすぼらしいキリスト像が納屋の中に放置されていたのですが、ある女性がその像が涙を流しているのを見つけ、「ヴィースの奇跡」、ということでうわさが広がり、次第に多くの巡礼者が駆けつける様になりました。最初は小さな礼拝堂に祀られていたのですが、巡礼者の増加に伴い、やがて浄財を募り、ドメニコ・ツィンマーマン設計による教会が1757年に完成し...

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メルヘン街道・シュヴァルムシュタットの郷土博物館

フランクフルトから北東に約100キロほど行くと、メルヘン街道のシュヴァルム地方にたどり着きます。この地方が、「赤頭巾ちゃん」、の発祥の地になります。シュヴァルムシュタットの郷土博物館には、この地方の民族衣装、昔の生活の模様を展示しているのですが、赤頭巾ちゃんの赤頭巾は、頭全体を覆うものではなく、髪を上に上げ、その結わえた部分を覆うようにキャップが置かれます。このキャップは「Haube(ハウベ)」と呼ばれ...

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ドレスデン・ピルニッツ宮殿

ドレスデンからエルベ川を15キロほど遡ると、アウグスト強力王が造らせた東洋風の夏の離宮であったピルニッツ宮殿に到達します。いわゆる、大航海時代と呼ばれたこの時代には、オランダやスペイン、イギリスなどの国々は植民地を求めて世界に船を派遣し、中国からは高価な白磁器や絹織物などを輸入し、そしてその文化、習慣などに憧れると同時に、その地球の裏側に存在するであろう、全く違った世界に想像を馳せました。アウグス...

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マイセンの陶器工場

北のフィレンツェと呼ばれるドレスデンからエルベ川を下って約30キロのところに、ヨーロッパで最初に磁器工場が置かれたマイセンという町があります。1701年、ヨハン・フリードリッヒ・ベトガーという薬剤師がベルリンで、「銀貨から金貨に変えれる」、と口からでまかせを言った所、あっという間にその噂が広がり、ベルリンからザクセンに逃げたところで逮捕され、その当時のザクセンのアウグスト強力王に、「金、さもなくば...

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ギーンゲン・シュタイフ博物館

アインシュタインが生まれたドナウ河畔の町ウルムから20キロほど北に行くと、ギーンゲンという町に到達します。 この町で1880年、マルガレーテ・シュタイフという女性が、フェルト地で針山を作って売りに出しました。これが、今では誰でも知っているテディベアのオリジナルを作ったシュタイフ社の始まりです。マルガレーテ・シュタイフは、1歳半の時に小児麻痺にかかり、両足と右手が不自由になりましたが、それでも、持ち...

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バンベルク

ドイツ・フランンケン地方の中心地ニュルンベルクから北西に約70キロほど行くと、バンベルクという町に到着します この町は大僧正が住んでいた町で、ロマネスク様式の大聖堂が高台に聳え立ち、町を見下ろしている。ペグニッツ川を挟んで大聖堂側には教会関係者、反対側には一般市民が住み着き、その境界の中州に市役所が作られました。第二次世界大戦の名戦闘機を生んだメッサーシュミット、ヒトラー暗殺計画の指導者であったフ...

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プロフィール

藤島

Author:藤島
ドイツ個人旅行のお客様をリムジン・ハイヤーでドイツはもちろん、スイス、オーストリア、チェコ、オランダ、ベルギー、フランス、イタリア、クロアチアなど、ヨーロッパ各地をご案内している日本人ガイド、ドイツ語通訳です。
HP:http://www.fujishimatour.com
e-mail:fujishima@gmail.com

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