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記事一覧

コルチュラ島

ドイツの日本人ガイド、ドライバーとしてドイツはもちろん、その周辺諸国をご案内しておりますが、すでに4回目のリピーターのお客様のリクエストで、スロヴェニアとクロアチアをご案内しました。コルチュラ島は東西に約48キロ、南北に約8キロほどある細長い島ですが、対岸のローマ時代に栄えた町スプリットからフェリーに乗って島の西端に上陸し、そのまま東端のコルチュラに車を走らせました。この町は、1254年にかのマル...

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クロアチア・ドブロヴニクの城塞からの眺め

ドブロヴニクの城塞は周囲2キロで、その上を歩けるようになっていますが、見慣れたドイツの城郭都市ローテンブルクのような城壁とは違って、幅も広く、そして非常に堅固に作られています。duvrovnikmauer - Kizoa 動画 編集...

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クロアチア・ドブロヴニク

ドイツの日本人ドライバーとしてドイツはもちろん、その周辺諸国をご案内しておりますが、すでに4回目のリピーターのお客様のリクエストで、スロヴェニアとクロアチアをご案内しました。特にクロアチアは私も初めて訪れる国なので、ご案内するというよりは、「お連れする」、という感じでしたが、天候にも恵まれ、期待に違わず、非常に感動的なものになりました。アドリア海の海の青さ、プリトヴィチェ湖水群の素晴らしさ、雄大な...

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クロアチア・プリトヴィーチェ湖水群

個人旅行専門のドライバーガイドとしてドイツ、オーストリア、スイスなど、ドイツ語圏を主にご案内していますが、すでに4回目のリピーターのお客様のリクエストで、スロヴェニアとクロアチアをご案内しました。初めてのクロアチアで、びっくりしたのは自然の広大さと美しさ。いつも、教会、お城、美術館といった文化遺産ばかり訪れているし、それがヨーロッパという場所なのですが、こういうのもヨーロッパなのだ、ということを教...

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ブダペスト

個人旅行専門のドライバーガイドとしてドイツ、オーストリア、スイスなど、ドイツ語圏を主にご案内していますが、ごくたまに、ウィーンにいらしたお客様をご案内してハンガリーに足を延ばすこともあります。ハンガリーという国人口約1千万人、日本の4分のほどの面積で、ヨーロッパの中央に位置し、遊牧に適したハンガリー大平原があるために、中央アジアからの遊牧民、スラブ民族、南からのオスマン・トルコといった民族に脅かされ...

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ミラノ

スイスからイタリアに入るとミラノの町はもうすぐです。130万人の人口を抱えるこの町は、イタリアで第2、北イタリアで最大の都市になります。この町は14-16世紀に非常に栄えた町で、かのレオナルド・ダ・ヴィンチが活躍した町でもあります。 北に位置することにより、ドイツの影響を強く受け、18世紀から19世紀にかけてはオーストリア領でもありました。ミラノと言えば、当然ファッションのことになりすし、産業として...

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ヴェニス

ヴェニスはご存知の通り、車がまったく通れない町になります。この町の歴史は西暦452年に始まるのですが、ゲルマン民族の侵略から逃れるために北イタリアの住民が湿地帯であるこの場所に移り住み、発展して行ったのがこの町です。地理的な理由もあり、農業ができなかったために、生活の活路を海に求めたのは当然の成り行きで、9世紀ごろから、フランク王国、イスラム世界との貿易が始められ、特に十字軍遠征が行われた12,3...

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フランス、モン・サン・ミッシェル

パリからノルマンディ地方に向かって西に車を約4時間ほど走らせると、天気の良い日には、水平線上にくっきりと浮かび上がるモン・サンミッシェルの島が見えてきます。前年にドイツ個人旅行で私のリムジンハイヤーをチャーターされたご家族から、「モン・サン・ミシェルに行きたい」というリクエストがあり、パリに到着したその足でジヴェルニーのそばの小さなオーベルジュに宿泊、モネのアトリエを訪問した後で、この地に向かいま...

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フランス・ジヴェルニー、モネの庭園

パリからルーアンに向かって80キロほど行くと、ジヴェルニーと言う小さな集落があります。ここに印象派の巨匠、クロード・モネのアトリエと庭園があります。ドイツ個人旅行で私のリムジンハイヤーをチャーターされたご家族から、「モン・サン・ミシェルに行きたい」というリクエストがあり、パリに到着したその足でジヴェルニーのそばの小さなオーベルジュに宿泊、朝一番でアトリエを訪問しました。モネは43歳にこのアトリエに...

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フランス・ランスの大聖堂

シャンパーニュ地方の中心地であるランスの大聖堂。フランク王国の国王クロヴィスが、この教会で洗礼を受けたことから、歴代のフランス国王は、このランスの大聖堂で戴冠式を行うことにより、初めてフランス国王として認められました。現在の大聖堂は、1211年から1475年までに建設され、その後、第一次世界大戦でドイツ軍によって壊滅的に破壊され、1938年に再建されました。この教会の特徴として、西側の入り口のアー...

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フランス、ボーヌのオテル・デュー

フランス、ブルゴーニュ地方のワイン名産地であるボーヌにある修道院のオテル・デューは、1443年、100年戦争で荒廃し、貧しい人たちのために、時のブルゴーニュ侯オード3世によって建てられた病院で、1971年まで実際に使用されていました。現在ではその一部が老人ホームとして使用されていると同時に、その当時の模様を伝えるために博物館として一般公開されています。hoteldieu - Kizoa 動画 編集...

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フランス・ヴェズレー

フランス・ブルゴーニュ地方の巡礼地として有名なヴェズレーは、人口500人ほどの小さな村です。小高い丘の上に聳え立つ聖マドレーヌ教会は、1120年にこの地にあった教会が火災で焼け落ち、1250年ごろまでかけて現在の形に再建されました。この教会は、9世紀にこの教会の守り神であるマリア・マグダレーナの遺骨が祭られていると言われており、サンチアゴ・デ・コンポステラに通じる巡礼の道にある教会として、多くの巡...

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フランス・フォントネー修道院

フランスのブルゴーニュ地方で創立されたシトー派修道会の修道院の一つで、1118年に建設されました。ナポレオンの時代に廃院となり、紙工場として利用されましたが、その後、気球を飛ばしたモンゴフィーの子孫に買い取られ、修道院の姿を復活させ、一般公開されています。フォントネーの名前は、噴水を意味する、「フォンテーン」、から由来したものです。鬱蒼とした森の中にひっそりと佇む修道院の建物は、「禁欲、貞節、信仰...

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フランスのエギスハイム

フランス・アルザス地方のコルマールから7キロほど離れた場所に人口1600人ほどの小さな村エギスハイムがあります。実は、私はこの村が大好きなのです。8角形状に作られたこの村は、端から端まで歩いて5分ぐらいで通過できるような本当に小さな村なのですが、そこには天井の低い小さな木組みの家が、それこそ隙間を置くことなく並んでいます。この村は7世紀に作られましたが、1002年に後のローマ法王レオ9世が生まれて...

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フランスのコルマール

フランス・アルザス地方のもうひとつの中心地が、ストラスブールから南方に50キロほど行った町、コルマールです。ストラスブールからワイン街道を南下し、リクヴィールとかカイザースベルクを通過しながらこの町に到着します。人口6万8千人と、それほど大きな町でもありませんが、かつては修道院だったウンター・リンデン博物館、木組みの家の並んだ町並み、小ヴェニスと言われる地区など、ゆっくりと町の散策はいかがでしょう...

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ストラスブールのプチ・フランス地区

旧市街の最西端、イル川に沿って16~7世紀の木組みの家が並んでいる地区がプチ・フランス(小フランス)地区になります。この地区には多くの皮なめし職人が住んでいました。それと言うのも、皮なめし作業には多くの水を使うことから、その必要があったのです。現在では、たくさんのレストランが並んでおり、観光スポットとなっております。ここにはイル川の落差を利用した小さな水力発電所があり、その建物の中には高級ホテルが...

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ストラスブールの大聖堂

ストラスブールの大聖堂ストラスブールの見所は、何と行っても町の中央に聳え立つ大聖堂でしょう。この大聖堂は高さが142メートルで、1874年まで世界一の高さを誇った建築物になります。この地に9世紀ごろから教会が建てられたのですが、幾度かの火災の後、1176年から1439年にかけて、最初はロマネスク様式、その後にゴシック様式に建築様式が変更され、現在の形に完成されましたが、正面を良く見ると、右側の尖塔...

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フランス・ストラスブール

フランス・アルザス地方の中心地、ストラスブールは人口27万人ほどの町で、ライン川を挟んでドイツと国境を接しており、町の語源はドイツ語の「シュトラーセ・ブルク(街道の町)」に由来しています。その由来の通り、ローマ領であった後は、「ドイツ民族の神聖ローマ帝国」の帝国自由都市のひとつとしてライン川の交通の要所でもあった町は非常に栄えます。ところが17世紀になってからルイ14世の膨張政策、30年戦争の影響...

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オランダ・マルケン島

この島は、13世紀に大嵐で本土から分断されてできた島で、漁業を生業としていましたが、現在では観光を主な事業としています。町は白い縁取りをした緑の小さな家が立ち並び、ここを訪れた人は、おとぎの世界に来たような錯覚を覚えることでしょう。町の入り口に木靴を作っている作業場とお土産物屋さんがありました。Movie Maker: marken - Diashow...

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オランダ・エダム

アムステルダムの北方20キロに、チーズで有名なエダムと言う小さな町があります。この町でかつてはエー川がアイセル湖に流れ込み、ダムが作られてからは、荷物を一旦下ろすことを強いられ、その荷物に課税することで町が栄えました。現在では人口7500人ほどの町で、チーズ生産業がこの町を支えています。すぐ隣町のフォーレンダムは観光客が溢れていますが、この町はそういうこともなく、非常に落ち着いた感じで町を散策でき...

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オランダ・ツァーンセ・スカンス

ツァーンセ・スカンスアムステルダムから北西に20キロほどの場所に風車が並んでいる場所があります。かつてはオランダ国中に数千機並んでいたと言われる風車も、蒸気機関が普及するにつれてその役目を譲ることになり、今ではほとんど見かけることがなくなりました。それでも、このツァーンセ・スカンスに何台か保存され、まだ現役で揚水、粉轢き、そして製材のために使用されています。もっとも、あくまでも観光客のためのデモン...

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オランダ・ホーレンダム

アムステルダム郊外のアイセル湖に面した漁村のフォーレンダムは、オランダに観光に来たお客様が、必ずといって良いほど訪れる町になります。「じゃあ、何か特別なものがあるか?」と言われれば、そういうわけでもないのですが、ツァーンセ・スカンスで風車を見た後で、この場所を訪問するのが定番のようになっています。町には民族衣装を着た観光客の記念写真を撮ってくれる写真館が何軒かあり、お土産物屋さんが道に沿って連なっ...

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オランダ・キューケンホーフ公園

アムステルダムから南西に30キロほど行くと、キューケンホフ公園にたどり着きます。ここには32ヘクタールの敷地内に、450万株のチューリップを中心に、700万株の花が咲き乱れ、その周辺の農地でもチューリップが植えられており、天気のいい日に訪れると、その見事な咲きぶりに圧倒されます。公開されている期間は、3月下旬から5月下旬にかけてのわずか2ヶ月間弱。これこそオランダ!!と言う感銘を受けること請け合い...

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アムステルダム

長い間、海運国として栄えたオランダの首都アムステルダム。オランダの首都アムステルダ約80万人をカ抱える大都市で、13世紀にアムステルの河口にダムが築かれ、港町として発展したのですが、16世紀にはアントワープから多くの商人たちがこの町に移住し、バルト海のみならず、新大陸の貿易港として栄えました。町はアムステルダム中央駅から扇状に広がり、多くの運河で繋がれているのですが、ベニスと同じように、地盤が軟らかいた...

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ベルギー・メーゼン

イーペルの近郊にメーゼンと言う小さな集落があり、町役場には「ベルギーで一番小さな町」と言う看板が架けられています。第一次世界大戦中、この町の教会に司令部が置かれ、伝令兵としてアドルフ・ヒトラー伍長が軍務に就いていました。その町役場の博物館と再建された教会の模様です。Movie Maker: mesen - Diashow...

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ベルギー・ゾンネベーケ

ベルギーのイーペルから8キロほど東に行った所にゾンネベーケという小さな町があります。この町も、第一次世界大戦中はドイツ軍とイギリス、カナダ、オーストラリア軍の連合軍が熾烈な戦闘を繰り広げた場所になります。市役所は、その模様を再現した塹壕をはじめ、さまざまな展示物が置かれている博物館も兼ねています。Movie Maker: zonnenbeke - Diashow...

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ベルギー・デュルブイ

ベルギーのドイツ寄りのアルデンヌ地方、デュルブイは世界で一番小さな町、と言われており、グルメの町としても有名です。調べてみたら、人口11,000人ほどの町なのですが、なぜこの町が世界最小の町なのかさっぱり分かりません。町の中心地は、この地方で採取される薄い青色の石でできた建物が並び、その多くがグルメレストランとして営業されています。その中で最も有名なレストランが、「サン・グリエー(猪亭)」というホ...

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ベルギー・ブリュージュ

ブリュージュと言う町の名前は、町に張り巡らされた多くの運河にかかる「ブリュッへ(橋)」に由来します。12世紀に大津波がこの町を襲い、その時に残された大きな溝に運河を掘り、海と町を結ぶ水路が整備され、港町としてこの町が発展していきます。13世紀にはハンザ同盟に加盟、ジェノヴァの商人がここを訪れるようになり、金融、貿易の拠点として大いに繁栄します。「株式(BOERSE)」と言う言葉もこの町から生まれ、町の大...

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ベルギー・イーペル

フランスの国境に近いイーペルは、中世の時代に織物の町としてイギリスとの交易によって栄え、人口4万人を数えたブリュッセル、ゲントに次ぐ都市に発展します。このころに建設されたのが町の中心にある織物会館と、聖マルティン聖堂になります。人口は20万人を超え、戦略的にも重要な位置を占めていたために、強固な防塁が築かれ、今でも17.8世紀の城壁、リール門などが残されています。この町は第1次世界大戦で壊滅的と言...

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アントワープ(2)

アントワープは世界最大のダイヤモンドの市場として有名です。アントワープ中央駅出て左側に、大小多くの宝石店が並び、ダイヤモンドの装飾品が陳列されています。ご存知のように、ダイヤモンド市場はユダヤ人が握っているわけですが、街角には黒い服を着て、やはり黒い帽子をかぶり、カールしたもみ上げをしている正統ユダヤ人の姿も見かけることができます。中央駅のアーケード、ユダヤ人街を散策してみると、店仕舞いしたお店が...

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