プラハ城
- 2016/04/19
- 09:41
プラハの町を見下ろすように聳え立つプラハ城は、長さ570メートル、幅130メートルの、
世界最大のお城ということで、ギネスブックにも載っているとのこと。
すでに10世紀には、この大きさであったと考えられているが、9世紀に聖母マリア教会が築かれ、
12世紀にはロマネスク形式の宮殿、14世紀の黄金時代にはゴシック様式で再建され、城砦としても
利用されるに至りました。
その後、戦火、あるいは火事で被害を受け、最終的に建設がなされたのは、マリア・テレジアの時代、
18世紀になります。
1918年、チェコスロバキア共和国が建国されると、この城にその大統領府が置かれ、第2次大戦中の
ナチス支配時代、その後の共産主義時代も、政府の最高府はここに置かれ、チェコとスロバキアが分離し、
チェコ共和国となった現在でも、大統領府となっています。
見所は、何と言っても、925年に遡る聖ヴィトス教会とその中にある聖ヴァツラフ礼拝堂、聖ネポモクの棺、
ミューシャのステンドグラスでしょう。
さらには、カフカが住んでいた黄金の小路、1618年にハプスブルク家の使者が窓から落とされて30年戦争の
きっかけとなった宮殿内部でしょうか。
世界最大のお城ということで、ギネスブックにも載っているとのこと。
すでに10世紀には、この大きさであったと考えられているが、9世紀に聖母マリア教会が築かれ、
12世紀にはロマネスク形式の宮殿、14世紀の黄金時代にはゴシック様式で再建され、城砦としても
利用されるに至りました。
その後、戦火、あるいは火事で被害を受け、最終的に建設がなされたのは、マリア・テレジアの時代、
18世紀になります。
1918年、チェコスロバキア共和国が建国されると、この城にその大統領府が置かれ、第2次大戦中の
ナチス支配時代、その後の共産主義時代も、政府の最高府はここに置かれ、チェコとスロバキアが分離し、
チェコ共和国となった現在でも、大統領府となっています。
見所は、何と言っても、925年に遡る聖ヴィトス教会とその中にある聖ヴァツラフ礼拝堂、聖ネポモクの棺、
ミューシャのステンドグラスでしょう。
さらには、カフカが住んでいた黄金の小路、1618年にハプスブルク家の使者が窓から落とされて30年戦争の
きっかけとなった宮殿内部でしょうか。
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