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フランス、モン・サン・ミッシェル

パリからノルマンディ地方に向かって西に車を約4時間ほど走らせると、天気の良い日には、
水平線上にくっきりと浮かび上がるモン・サンミッシェルの島が見えてきます。

前年にドイツ個人旅行で私のリムジンハイヤーをチャーターされたご家族から、
「モン・サン・ミシェルに行きたい」というリクエストがあり、パリに到着したその足で
ジヴェルニーのそばの小さなオーベルジュに宿泊、モネのアトリエを訪問した後で、
この地に向かいました。

1944年6月のノルマンディ上陸作戦の舞台となった海岸を訪問した後だったので、
ここに到着したのは夕方の6時過ぎ。観光は翌朝一番ですることにしました。

この島はモン・トンブ(墓の島)と呼ばれ、ケルト人の聖地だったのですが、
708年、オーベール司教に大天使ミッシェルが、この地に聖堂を建てるように
夢の中で指令し、礼拝堂を作ったのが始まりです。

966年にはベネディクト派の修道院となって以来、増改築を重ね、現在の形に
完成したのは13世紀になります。

それ以来、多くの巡礼者がこの地を訪れ、100年戦争の折には島全体が
要塞の役目も果たしました。

フランス革命後、修道院は廃院となり、1863年まで監獄として使用されたのですが、
大作家ヴィクトール・ユーゴーの紹介で、時のナポレオン3世を動かし、再び
修道院として活動を再開しました。

元々は島だったのですが、堤防が作られていつでも通行が可能となったものの、
その影響で周囲が砂で埋まり、現在、その堤防を除去し、橋で繋ぐ工事が
進められています。

修道院の中は、礼拝堂、修道僧たちの食堂、寝室などに分かれていますが、
いずれもガランとしており、当時の修道僧の生活がどういうものであったかは、
オーディオガイドによる説明と、その建物の様子で想像するしかありません。

それでも、簡素な建物の内部、高い天井などは、その生活がいかに質素で
あったかを物語ってくれることでしょう。

修道院に行く途中には、多くのレストラン、お土産物屋が並んでいますが、
今と同様に、巡礼者たちはここに来た記念品を買い求めたのでしょう。

当時はどんな物が記念品として売られていたのでしょうね?

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